神成城は小幡氏の支城のひとつで、小幡図書景定が城主をつとめていました。東側にある宮崎城の詰城であり、小幡氏の城としては国峰城に次ぐ規模を誇っていました。景定は長野業正と結んで国峰城から小幡重定を追放して奪取しましたが、1561年(永禄4年)に武田氏によって攻略され、国峰城には再び重定が入りました。なお景定の子孫はこの地で神成氏を称するようになったそうです。現在城址は「神成山ハイキングコース」として整備されており、土塁や堀切などの遺構を確認することができます。
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書いてあることの半分も理解できていないけど、狩野山楽について丁寧に紹介されている。「京狩野すごい」や「山楽は天才」というありきたりなスタンスではなく、むしろ「ほかの狩野派の面々が永徳の才能にひれ伏して早々に別のスタイルを模索したのに対して、山楽は最後まで永徳に追いつかんともがいた人」としてちょっと不器用な人扱いになっている。だけど、だからこそ寛永期の二条城改修において曲がりなりにも永徳様式で障壁画を描けたのは山楽だけだという評価にもつながっていておもしろい(「松鷹図」のことです)。
図版も多数収録されており、図版と評論で二度楽しめます。海北友松のパートは勉強不足でまだちゃんと読めてないです。
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