鳥羽城は九鬼水軍を率いた九鬼嘉隆によって築かれた城です。水軍の城らしく、かつては大手門(大手水門)が海側へ突き出して築かれていたそうです。現在は本丸周辺に石垣の一部が残っています。また、山麓が三ノ丸広場として整備されています。鳥羽港から定期船で30分のところにある答志島には九鬼嘉隆の墓があります。鳥羽水族館が城址のすぐそばにあります。
鳥羽城を訪問した771人の報告によれば、平均見学時間は42分、平均評価は3.13点となっています。
鳥羽城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
鳥羽城に関するデータ 情報の追加や修正
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6.1 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
3重
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1633年(寛永10年)に3重天守が築かれたとされるが、1854年(安政元年)の地震により倒壊。
九鬼嘉隆
着工 1594年(文禄3年)
1871年(明治4年)
内藤忠重
九鬼家、内藤家、土井家、稲垣家など
石垣
県史跡
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登録日:2016/08/20 16:52:49
更新日:2024/10/10 03:29:22
鳥羽城へのアクセス情報 情報の追加や修正
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なし
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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