安乗城は北畠氏の家臣である三浦新介(国府内膳)の居城として知られています。のちに国府城を築いて本拠を移したあとも支城として機能していました。「関ケ原の戦い」では鳥羽城主・九鬼守隆の父である九鬼嘉隆は隠居していましたが、復帰すると西軍に属して鳥羽城を奪取しました。東軍に属していた守隆は徳川家康より鳥羽城の再奪取を命じられ、廃城となっていたこの城を修築して布陣しました。現在城址には安乗神社(安乘神社)が祀られており、わずかに土塁の遺構が残っています。
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攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。
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