児山城は多功城主・多功宗朝の次男(または三男)である児山朝定によって築かれた城です。朝定は児山郷を領して児山氏を称すると、以後代々の居城となりました。1558年(永禄元年)に上杉謙信が多功城を攻撃すると、当時の城主・児山兼朝は上杉方の佐野豊綱と戦って討死し、そのまま廃城となりました。現在城址は児山氏の菩提寺である華蔵寺の境内となっており、北西に位置する本丸跡周辺には土塁と空堀の遺構が確認できます。
目次
児山城に関するデータ 情報の追加や修正
67 m
内郭:-- 外郭:--
宇都宮(児山)朝定
着工 建武年間(1334年〜1338年)
1558年(永禄元年)
宇都宮(児山)氏
土塁、堀、櫓跡
県史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 67 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 宇都宮(児山)朝定 |
築城開始・完了年 | 着工 建武年間(1334年〜1338年) |
廃城年 | 1558年(永禄元年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 宇都宮(児山)氏 |
遺構 | 土塁、堀、櫓跡 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/26 14:26:39
項目 | データ |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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