
伊王野館は伊王野資長によって築かれたと伝わります。伊王野氏は那須頼資の二男である資長が伊王野を分地され、伊王野次郎左衛門尉資長と名乗ったことにはじまります。その後も那須宗家を支え、ときには佐竹氏と同盟して宗家と戦いながら江戸時代まで生き残りました。現在の伊王野小学校周辺に居館があったと推定されています。典型的な中世の館の形態で、ほぼ正方形の土塁に囲まれており、小学校の山側に土塁が残っています。なお、1487年(長享元年)、13代・伊王野資清の代に伊王野城を築いて居城を移しましたが、江戸時代の1627年(寛永4年)に伊王野資友がこの地に再び伊王野陣屋を築いて移っています。しかし1633年(寛永10年)に伊王野資房が嗣子なく没したため伊王野氏は改易となりました。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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