別名 錦帯城、蛎崎城

蠣崎城は蠣崎蔵人信純が主家である南部氏に対して起こした「蠣崎蔵人の乱(田名部乱)」の舞台となった城です。1457年(康正3年)に蔵人が安東氏や蝦夷などと結んで自らの居城であるこの城で乱を起こすと、朝廷の許可を得た南部政経によって鎮圧されました。敗れた信純は蝦夷地(北海道)に逃れますが、この信純が松前氏の祖となる武田信広という説もあります。その後は南部氏の領地として、一族の新田盛政を城代としました。現在は「錦帯城公園」として登山道が整備されており、土塁などの遺構を確認することができます。
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10月の定期ライブで榎本先生が推薦され、かつ来年の大河ドラマが平安時代が舞台と言うことで、予習のつもりで手に取りました。はっきり言って平安時代に関する知識はあまり有りませんでしたが、この著書には桓武天皇が都を平安京に移してから、摂関政治、院政、そして武士の時代までの約400年の貴族の権力闘争や平安京に住む人びとの営みを知る事が出来ました。特に関心を持ったのは平安京のトイレ事情で、汚い話もあり詳細は割愛しますが、テレビや映画ではなかなかお目にかかれない事なので興味深く読ませて頂きました。来年の大河まで時間はそう有りませんが、その前に是非読んでおく一冊だと思います。
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