馬伏塚城は武田勝頼によって攻略された高天神城を奪還するための重要拠点となった城です。家康はこの城を改修して大須賀康高を城主にし、さらに横須賀城を築いて康高を城主にすると、馬伏塚城主には高力清長を任命しています。1581年(天正9年)に家康が高天神城を攻略して遠江を勢力下に置くと、その翌年に廃城となりました。現在城址は住宅地となっており、城址碑と土塁があります。また袋井市郷土資料館には馬伏塚城の模型が展示されています。
馬伏塚城を訪問した153人の報告によれば、平均見学時間は27分、平均評価は2.36点となっています。
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書いてあることの半分も理解できていないけど、狩野山楽について丁寧に紹介されている。「京狩野すごい」や「山楽は天才」というありきたりなスタンスではなく、むしろ「ほかの狩野派の面々が永徳の才能にひれ伏して早々に別のスタイルを模索したのに対して、山楽は最後まで永徳に追いつかんともがいた人」としてちょっと不器用な人扱いになっている。だけど、だからこそ寛永期の二条城改修において曲がりなりにも永徳様式で障壁画を描けたのは山楽だけだという評価にもつながっていておもしろい(「松鷹図」のことです)。
図版も多数収録されており、図版と評論で二度楽しめます。海北友松のパートは勉強不足でまだちゃんと読めてないです。
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