鬼ヶ城(鬼ヶ城本城)は有馬和泉守忠親が隠居城として築いた城です。1558年(永禄元年)に有馬氏が堀内氏に滅ぼされると、堀内氏は豊臣秀吉に仕え「関ケ原の戦い」までこの地を治めました。熊野水軍を率いた堀内氏善は領地を没収されると、加藤清正に仕えて熊本に移りました。現在城址には熊野古道・松本峠と連結するハイキングコースが整備されており、石垣や掘切などの遺構を確認することができます。また鬼の見晴台といわれる展望台からは、熊野灘が一望できるほか、2000本の桜が植えられ花見の名所となっています。山麓には、世界遺産、そして国の天然記念物および名勝に指定されている「鬼ヶ城」がある城跡としても知られています。
鬼ヶ城を訪問した295人の報告によれば、平均見学時間は1時間4分、平均評価は3.20点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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