正覚寺城は「応仁の乱」を引き起こしたともいわれる、畠山政長の最後の地として知られています。1493年(明応2年)に起きた「明応の政変」における「正覚寺合戦」の舞台でもあります。それに先立つ1477年(文明9年)に政長が正覚寺に陣を置き、畠山義就と争った際に城郭化されたものとみられています。現在城跡には旭神社があり遺構は残っておりませんが、境内の神木脇に城址碑が建てられています。また200mほど東にある住宅地の一角に畠山政長の墓があります。
正覚寺城を訪問した104人の報告によれば、平均見学時間は19分、平均評価は2.30点となっています。
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読みました。2日で。あっという間でした。
歴代将軍を並べて読んでみると、いつの時代も権力闘争なんだなぁと思いました。そういった意味では鎌倉時代や室町時代に比べて江戸時代はまだ安定していたんですね。
室町は勘合貿易をやめてしまったあたりから、江戸は米価が下がりはじめたあたりから、将軍としての権力が弱まったように感じました。将軍家経済基盤が弱くなる→権力無くなる→倒幕に向かうみたいな感じ?
あと、鎌倉幕府vs朝廷で戦してたんですね。幕府が勝ったのなら何故朝廷を滅ぼさなかったのか、疑問も残りました。
どんな将軍だったかを知ることもできました。将軍という視点から日本史をおさらいする感じで楽しめました。
思ったこと並べたら長文になりました。すみません。次回はどんな切り口で来るか楽しみです。
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