久宝寺城は河内守護・畠山満基の長子、渋川満貞の居城と伝わっています。その後、満貞の嫡子・光重は、播州安井郷を受領したことから安井氏を名乗るようになりました。安井定重の代に織田信長に従いましたが、1577年(天正5年)の「石山合戦」で本願寺兵に攻められ落城しました。現在城址には城址碑が建てられており、「久宝寺御坊」とも呼ばれる顕証寺南側には水堀跡と土塁が残っています。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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