久米城は佐竹義治の四男で、佐竹義信を祖とする佐竹北家の居城として知られます。佐竹北家は「北殿」と呼ばれ、宗家の補佐をつとめました。もともとは小野崎氏の一族である久米氏の居城でしたが、戦国時代初期、佐竹氏は一族でもある山入城主・山入氏と対立しており(山入の乱、山入一揆)、義治はその攻撃に備えて久米氏を部垂城へ移し、子の又三郎義武(久米義武)を城主にしました。1478年(文明10年)11月には山入義知に攻撃され、義武は戦死しますが、翌12月に義治は城を奪還しています。その後、義武の弟の義信を城主としました。1602年(慶長7年)、佐竹氏の秋田転封に従って廃城となりましたが、佐竹北家は角館を治めています。現在城址には土塁や虎口のほか、堀切で遮断された曲輪群などの遺構を確認することができます。
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駐車場 |
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平の将門の乱以降、藤原道長を中心とした京の都からの圧政に抗い、鬼と呼ばれる者たちを描いた歴史小説です。
賤ヶ岳の七本槍と石田三成を描いた”八本目の槍”が凄く面白かったので、作者、今村翔吾先生の本をもっと読んでみたいと思い購入しました。
以下解説引用。
土蜘蛛、滝夜叉、山姥…などの恐ろしげな名で呼ばれ、京人から蔑まれていた。一方、安倍晴明が空前絶後の凶事と断じた日食の最中に、越後で生まれた桜暁丸は、父と故郷を奪った京人に復讐を誓っていた。様々な出逢いを経て桜暁丸は、童たちと共に朝廷軍に決死の戦いを挑むが―。皆
皆が手をたずさえて生きられる世を熱望し、散っていった者たちへの、祈りが描かれております。
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