山上城は北条氏康、上杉謙信、そして武田勝頼らに攻め落とされた歴史のある城です。藤原秀郷の後裔とする山上五郎高綱が居館を築いたのがはじまりとされています。1555年(弘治元年)に北条氏が山上氏秀から城を奪いましたが、関東へ乱入した上杉謙信によって攻略され、大胡氏に預けられました。戦国時代末期に武田勝頼に攻められたのちに廃城となったとも、武田氏滅亡後に北条氏が再び利用して1590年(天正18年)の「小田原征伐」後に廃城になったともいわれています。現在城址は「山上城址公園」として整備されており、土塁や堀切などの遺構を確認することができます。
山上城を訪問した148人の報告によれば、平均見学時間は34分、平均評価は3.25点となっています。
山上城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
山上城へのアクセス情報 情報の追加や修正
山上城址公園駐車場(無料)
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
山上城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
山上城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
武田信玄が村上義清の戸石城を攻めて大敗した「戸石崩れ」の敗走の様を小者の視点から描く。半助は62歳、雨宮佐兵衛の小者である。小者は主人の世話をするために従軍し、戦場では戦いには加わらず主人の活躍と無事を願い、味方の救護に当たる。だが敗け戦となれば小者とて知恵、機転、勘、持てる物すべてを使って死地を脱出しなければならない。前半は戦の支度から戸石への行軍と攻城戦の様子を描き、後半戸石城から長窪城までの敗走が始まると目が離せない緊迫した場面が続く。戦の支度の様子から目を背けたくなるような凄惨な場面まで、描写がとても具体的でリアルな戦国の戦いが感じられる。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する