別名 上口内要害
浮牛城は江戸時代に伊達藩が「上口内要害」と呼んだ重要な館のひとつです。伊達藩と南部藩を結ぶ脇街道がある軍事上の重要な地でした。鎌倉時代から葛西氏七党のひとりで江刺氏の一族、口内氏の居城でしたが、1590年(天正18年)の豊臣秀吉の奥州仕置で葛西氏は改易されたため、口内氏もこの地を去り、以降は伊達領となり、江戸時代には仙台藩士が在城しました。現在城址は「浮牛城址公園」となっており、本丸跡には武彦神社(旧明神社)があります。また、毎年8月には浮牛城まつりが開催されています。
浮牛城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
浮牛城へのアクセス情報 情報の追加や修正
---
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
浮牛城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
浮牛城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
浮牛城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する