昨日、小田城のデータを作成していて「小田城といえば小田氏治。小田氏治といえば何度も城を奪われたダメ武将や最弱大名として有名だなあ」と頭をよぎったのですが、「何度も奪われている」というのは「何度も奪い返している」ともいえるわけで、あながちダメとも最弱ともいいきれないなと思ったのです。
小田氏治のWikipediaの紹介にはこんなふうに書かれています。
常陸の佐竹義昭・義重父子や下総の結城政勝・晴朝父子、越後の上杉謙信と戦い、相模の北条氏康・氏政父子と手を結んで父祖代々の地の防衛に努めた。30年以上にもおよぶ本城・小田城争奪戦など度重なる合戦でしばしば勝利を収めるも、上杉氏や北条氏の援助が弱まり孤立すると佐竹氏の激しい攻撃に晒された。晩年は豊臣秀吉に所領を没収され大名小田氏は消滅したが、後に結城秀康に仕えた。後世、常陸の不死鳥と称された。 Wikipedia
常陸の不死鳥! なんてカッコいいんでしょう。
たしかに佐竹家とも、結城家とも、さらには上杉謙信とも戦い、生き残ったというのはそれだけですごいことですよね。
しかも上杉方についたかと思えば、北条氏康の誘いに乗って寝返ったりと、真田昌幸ばりの外交力です。ぜんぜんダメじゃないですね。
じっさい『信長の野望』をやるとわかるんですけど、ちょうど小田城は佐竹家と北条家それぞれの領地に挟まれているので、どこかに従属しないと1年も持ちません。
(ゲームの場合、城をすべて失うと終わりなので)
その『信長の野望・創造』の武将名鑑では次のように紹介されています。
小田家15代当主。政治の子。北条家と結んで佐竹家の南進阻止を試みるが連戦連敗、居城を奪われて降伏した。以後も失地を回復できず、結城秀康に仕えた。 光栄『信長の野望・創造』
72文字で紹介しなきゃいけないとはいえ、「連戦連敗」というまとめ方はなんともかわいそう。
でも氏治のデータ自体は「並」の武将クラスで、内政担当要員としてはそれなりに活用できるレベルです。
(もう少し政治か知略が高くてもいいと思うんですけど、家臣がすごかったという評価なのかな)
ゲーム内における最弱の武将は土佐の一条兼定で、隣接する長宗我部家にあっという間に滅ぼされます。紹介文もひどいものです。
もちろんあくまでも「並」なので、織田信長や現在の大河ドラマの主役である黒田官兵衛と比べるとまるでかないませんけどね。
なんだか小田氏治で天下統一に挑戦してみたくなってきました。
ゴールデンウィークにやっとけばよかった。
小田城址は国の史跡として指定され、つくば市が復元整備と発掘調査をされています。
今後は整備して城址公園になるそうですし、いつか攻めてみたいですね。
余談ですが、Wikipediaのページがやたら充実していて、戦歴も詳細に書かれているので、小田氏治に興味を持たれた方はぜひご一読を。
ここにある戦歴によれば、小田氏治は自らの本拠地である小田城を5回も奪い返しています。
6回目の奪回を目論んで何度も攻めたのですが、ダメだったようです。
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