森山城は千葉常胤の六男、東胤頼が築いた城と考えられています。胤頼・重胤・胤行の三代において居城として使われました。戦国時代には千葉胤冨が東氏一族である海上氏の養子として城主をつとめていましたが、1557年(弘治3年)に千葉家当主・千葉親胤が家臣によって殺害されると千葉宗家を継ぐために本佐倉城に移りました。胤冨が移ったのちも境目の城として重視され、天正年間には東氏、その家臣の原氏が在城して千葉氏にともなって北条氏に臣従しましたが、北条氏の滅亡後に廃城になりました。現在城趾は農耕地や牧場になっていますが、主郭部には空堀や土塁などが比較的良好な形で残されています。また、山麓にある真性院芳泰寺は東氏代々の菩提寺であり、東胤頼夫妻の墓があります。
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49.5 m( 49.5 m)
内郭:-- 外郭:--
東胤頼
着工 1218年(建保6年)
千葉胤冨
東氏、海上氏、原氏
空堀、土橋、土塁、曲輪、馬出
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 丘城(平山城) |
標高(比高) | 49.5 m( 49.5 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 東胤頼 |
築城開始・完了年 | 着工 1218年(建保6年) |
廃城年 | |
主な改修者 | 千葉胤冨 |
主な城主 | 東氏、海上氏、原氏 |
遺構 | 空堀、土橋、土塁、曲輪、馬出 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/27 03:34:27
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | なし |
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