須賀山城は千葉常胤の六男、東胤頼によって築かれた城です。胤頼は桜井城からここに居城を移しました。戦国後期には北条氏の支援を受けた千葉胤富によって森山城が整備拡張されると、隣接する須賀山城はその外郭として取り込まれ、最終的に一体化したようです。1590年(天正18年)、城主の東直胤は小田原城に籠城しましたが、北条氏滅亡後に森山城とともに廃城になりました。現在城址には土塁や空堀などの遺構が残っており、天之宮神社付近の鳥居前に城址碑があります。
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「日本史の知識をアップデートするための勉強会」にて榎本先生から紹介もあり、読んでみることにしました。幕末から明治初期に渡り、加賀藩の御算用者であった猪山信之、直之、成之3代に渡り残された家計簿その他の書簡・日記から、その当時の武士の経済状態や考えが良く解る内容となっています。猪山家が困窮する家計を如何に立て直したか、また幕末から明治にかけて時代が変わる中で猪山成之がどのように考え行動していったかが、そして当時の士族が時代の流れの中でどのようになっていったのかの一端を垣間見ることが出来ました。この本が原作となった2010年公開の映画「武士の家計簿」の中で、原作では娘の髪結に際にお金がなく絵に描いた鯛を用いたエピソードが、長男の着袴の際のエピソードとして描かれておりましたが、映画の方も楽しく鑑賞させて頂きました。
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