戸木城は木造具政が隠居所として築いた城です。具政は織田信長が伊勢に侵攻して来ると、長兄・具教に背いて信長に臣従し、北畠家の養嗣子となった信長の次男・織田信雄の家老となっています。「本能寺の変」後も信雄につかえ、1584年(天正12年)の「小牧・長久手の戦い」では羽柴秀吉方の蒲生氏郷率いる軍勢が攻め寄せる中、戸木城に籠城しましたが、信雄が秀吉と和議を結ぶと、城から退去しました。現在城址には戸木小学校が建てられており遺構はありませんが、1977年(昭和52年)におこなわれた発掘調査では堀跡などが発見されています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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