善光寺は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来を本尊とする無宗派の単立寺院で、江戸時代では伊勢神宮と並んで多くの参拝者が訪れました。
「お伊勢参り」の帰りに「善光寺参り」を行う場合もあったようです。
現代においても御開帳(善光寺前立本尊御開帳)が行われる丑年と未年に、より多くの参拝者が訪れています。
なお、前立本尊は武田信玄や徳川家康などを経て、豊臣秀吉の手に渡りましたが、1598年(慶長3年)に秀吉の病は本尊の祟りであるという噂から、死の前日に信濃へ帰されたと伝わり、戦国武将との関わりも深いです。
有料(500円)ですが、三門(山門)にあがることができます。
御開帳の年には本堂前に回向柱(えこうばしら)が建てられ、これが「善の綱」と呼ばれる五色の紐で前立本尊と結ばれ、回向柱に触れると前立本尊に触れたのと同じ利益(りやく)があり、来世の幸せが約束されるとされています。
この回向柱は、松代藩が普請支配として建立されて以来の縁により、代々松代町(藩)大回向柱寄進建立会から寄進されています。
なお、本堂の裏には徳川家大奥供養塔や、本堂の再建を担い、木材調達役を請け負っていた松代真田家の供養塔があります。
松代藩真田家の古塔
江戸時代に善光寺の外護職を務めた松代藩の藩主、真田家の供養塔です。松代藩は善光寺を保護すると共に篤く信仰していました。境内東部には重臣らの供養塔も現存しています。松代と善光寺とのご縁は今も深く、七年に一度の善光寺御開帳の折には、本堂前に建つ大回向柱の用材を松代町が毎回寄進しています。
徳川家大奥供養塔
江戸幕府三代将軍徳川家光の正室本理院、家光の乳母春日局、家光の次男綱重の正室紅玉院など、大奥関係者の供養塔です。江戸で善光寺の出開帳が行われた際には、大奥の強い希望で前立本尊が江戸城内に招き入れられるなど、善光寺は徳川将軍家から篤く信仰されていました。
善光寺の観光情報
住所 | 長野県長野市元善町491 |
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本尊 | 一光三尊阿弥陀如来(絶対秘仏) |
創建年 | 644年(皇極天皇3年)か |
文化財 | 本堂(国宝)、三門、銅造阿弥陀如来及び両脇侍立像ほか(重要文化財) |
URL | http://www.zenkoji.jp/ |