日隈城は、1594年(文禄3年)に豊臣氏直轄地代官として入封した宮城豊盛によって築かれた城です。翌年入封した毛利高政が1596年(慶長元年)に大規模な改築を行い、このときに5重の天守や3重の月見櫓などが増築されたと伝わっています。「関ケ原の戦い」では、毛利氏は西軍につきましたが(この毛利氏は中国の毛利氏とは血縁関係なし)、中津城主・黒田如水が重臣の栗山利安を送って和議を結び開城させています。その後、日隈城は丸山城主の小川氏の預かりとなりましたが、一国一城令によって、1616年(元和2年)頃に廃城になりました。現在は亀山公園となり、山上には日隈神社が建立されています。遺構としては、大手門跡の階段をのぼった先に石垣による桝形虎口が残っています。
目次
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112.1 m( 30 m)
内郭:-- 外郭:--
『佐伯毛利家文書』によると、内部5階、地下1階で外観については不明。天守が築かれたのは1596年とされる。
宮城豊盛
着工 1594年(文禄3年)
1616年(元和2年)
毛利高政
毛利氏 (藤原氏)
曲輪、石垣、桝形虎口
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 112.1 m( 30 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 『佐伯毛利家文書』によると、内部5階、地下1階で外観については不明。天守が築かれたのは1596年とされる。 |
築城主 | 宮城豊盛 |
築城開始・完了年 | 着工 1594年(文禄3年) |
廃城年 | 1616年(元和2年) |
主な改修者 | 毛利高政 |
主な城主 | 毛利氏 (藤原氏) |
遺構 | 曲輪、石垣、桝形虎口 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/03/19 03:31:13
日隈城へのアクセス情報 情報の追加や修正
亀山公園無料駐車場
項目 | データ |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 亀山公園無料駐車場 |
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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