都於郡城は伊東氏の居城として知られています。伊東四十八城のひとつで日向国を代表する中世城郭です。1577年(天正5年)、伊東義祐は宿敵であった島津義久との戦いに敗れ、日向を捨て豊後に脱出しました。その後は島津氏の支配下となり、島津家臣の鎌田政親が入城しましたが、1587年(天正15年)の豊臣秀吉による九州征伐の後は佐土原城主・島津氏の所領となり、1615年(元和1年)の「元和の一国一城令」によって廃城となりました。現在は国指定史跡となり公園として整備されています。都於郡小学校と大安寺の間にある大安寺池はかつての堀跡で、大安寺の東の丘には伊東氏歴代の墓所があります。
都於郡城を訪問した216人の報告によれば、平均見学時間は1時間2分、平均評価は3.95点となっています。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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