都於郡城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
都於郡城跡(とのこおりじょうあと)
"春は花、秋は紅葉(もみじ)に帆(ほ)をあげて
霧(きり)や霞(かすみ)に、浮舟(うきふね)の城"
と古歌にもうたわれた都於郡城(標高一〇〇m)は建武二年(一、三三五)工藤祐経(すけつね)の子孫、伊東祐重(すけしげ)が築城しました。以来、天正五年(一、五七七)までの二四二年間、伊東氏累代の居城として栄えました。
城は空濠(からほり)や土塁(どるい)をめぐらした、中世の典型的な山城で、本丸を中心に、五つの城郭(奥の城・ニの丸・三の丸・西の丸・本丸)など七つの山城を構え、のちに佐土原城や宮崎城など日向一円に四十八の城を築きました。
天正遣欧少年使節の正使としてヨーロッパに渡った伊東満所(マンショ)もこの城で生まれています。西都市・西都市観光協会