日出城は豊臣秀吉の正室・ねねの甥にあたる木下延俊が、義兄であった細川忠興の支援を受けて築いた城です。別府湾に面して築かれた海城で、天守台から眺める光景は見事です。1874年(明治7年)に廃城令によって破却されましたが、穴太積みの石垣が現存しています。現在、本丸跡には日出小学校があり、石垣以外にも堀の一部、時鐘が残っています(小学校の敷地内は無断立入禁止です)。また、2010年(平成22年)に裏門櫓(鐘櫓)が、2013年(平成25年)には鬼門櫓がそれぞれ二の丸に移築復元されています。ちなみに大分県の特産品「城下カレイ(しろしたかれい)」は日出城城下の海岸近くで漁獲されることから名づけられました。
目次
日出城に関するデータ 情報の追加や修正
24.3 m
内郭:-- 外郭:--
3重3階
15.5 m
5 m
1602年(慶長7年)に木下延俊によって築かれた望楼型天守は、のちに層塔型の御三階櫓に改築された。1874年(明治7年)に取り壊し。
木下延俊
着工 1601年(慶長6年) 〜 竣工 1602年(慶長7年)
1874年(明治7年)
木下氏
移築櫓、移築門、天守台、曲輪、石垣、堀1874年(明治7年)に廃城令によって破却されたが、石垣が現存し、鬼門櫓、隅櫓、御裏門が部分的に移築されて現存している。なお、現在は本丸跡が日出町立日出小学校の敷
町史跡
項目 | データ |
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曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 海城 |
標高(比高) | 24.3 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 複合式層塔型 |
天守の階数 | 3重3階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | 15.5 m |
天守台石垣の高さ | 5 m |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1602年(慶長7年)に木下延俊によって築かれた望楼型天守は、のちに層塔型の御三階櫓に改築された。1874年(明治7年)に取り壊し。 |
築城主 | 木下延俊 |
築城開始・完了年 | 着工 1601年(慶長6年) 〜 竣工 1602年(慶長7年) |
廃城年 | 1874年(明治7年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 木下氏 |
遺構 | 移築櫓、移築門、天守台、曲輪、石垣、堀1874年(明治7年)に廃城令によって破却されたが、石垣が現存し、鬼門櫓、隅櫓、御裏門が部分的に移築されて現存している。なお、現在は本丸跡が日出町立日出小学校の敷 |
指定文化財 | 町史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/03/19 14:42:47
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 観光駐車場(無料) |
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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