加久藤城は飯野城主・北原氏によって築かれた城です。もともとは久藤城と呼ばれる徳満城の支城でしたが、北原氏滅亡後に島津義弘の支配下になった際に城を改修・拡張し加久藤城と名付けました。義弘は継々室である実窓夫人(広瀬夫人)と長子・鶴寿丸を住まわせています。1572年(元亀3年)に伊東氏が侵攻した際は「木崎原合戦」の舞台となり、城代の川上忠智らが奮戦して、わずかな手勢で撃退したことにより伊東氏衰退のきっかけとなりました。現在城址には本丸跡に加久藤城竈門神社が鎮座しており、空堀や枡形虎口などの遺構が残っています。また南麓には夭折した鶴寿丸の墓があります。
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260 m( 60 m)
内郭:-- 外郭:--
北原氏
着工 応永年間(1394年~1428年)
1615年(元和元年)
島津義弘
北原氏、川上忠智、南郷若狭守
曲輪、土塁、竪堀、枡形虎口
市史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 260 m( 60 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 北原氏 |
築城開始・完了年 | 着工 応永年間(1394年~1428年) |
廃城年 | 1615年(元和元年) |
主な改修者 | 島津義弘 |
主な城主 | 北原氏、川上忠智、南郷若狭守 |
遺構 | 曲輪、土塁、竪堀、枡形虎口 |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/25 03:58:54
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項目 | データ |
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トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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