金澤城は清原氏の居城で、古代城柵「金沢柵」の推定地として知られています。1083年(永保3年)に起きた「後三年の役」では清原家衡・武衡が籠城し、源義家と奥州藤原氏の祖となった清原清衡の連合軍により落城しました。その後は1458年(長禄2年)には南部守行の子である金沢右京亮の居城となり、南部氏が小野寺氏に敗れたのち金沢権十郎などの居城となっています。江戸時代に秋田へ転封となった佐竹義宣が居城の候補に検討したものの、最終的に久保田城が居城となり、金沢城は一国一城令で廃城となりました。現在城址は金沢公園(金沢八幡宮)として整備されており、二の丸跡に金沢八幡宮が祀られています。
目次
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172 m( 90 m)
内郭:-- 外郭:--
清原氏
着工 平安時代後期か
1622年(元和8年)頃
清原氏、金沢氏
曲輪、土塁、堀切、切岸
国史跡(金沢柵として)
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城(城柵) |
標高(比高) | 172 m( 90 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 清原氏 |
築城開始・完了年 | 着工 平安時代後期か |
廃城年 | 1622年(元和8年)頃 |
主な改修者 | |
主な城主 | 清原氏、金沢氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、切岸 |
指定文化財 | 国史跡(金沢柵として) |
復元状況 |
更新日:2023/11/29 03:59:21
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金沢公園駐車場(無料)
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 金沢公園駐車場(無料) |
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