久留米城
久留米城

[福岡県][筑後] 福岡県久留米市篠山町444


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.25(--位)
  • 見学時間:47分(--位)
  • 攻城人数:933(177位)

からくり太鼓時計

久留米駅前の広場には「からくり儀右衛門(ぎえもん)」や「東洋のエジソン」と称された田中久重氏(東芝創業者)の「太鼓時計」をモチーフにした、からくり時計のモニュメントがあります。
田中氏は久留米市で生まれたそうです。

この時計は田中久重氏の生誕200年および久留米市制施行110周年、九州鉄道開通久留米駅設置110周年を記念して、1999年(平成11年)11月13日に設置されました。

駅から出てくると正面に見えます。
日中(8:00〜19:00)は30分間隔でからくり人形の実演があるそうです。

『からくり時計』
 このモニュメントは、郷土が生んだ偉大な発明家「日本第一細工師」田中久重(ひさしげ)翁(1799-1881)の生誕二百年を祝い、その業績を顕彰するため久留米市制施行百十周年記念事業として設置するものです。
 この時計は、翁が製作した太鼓時計をモチーフとしており、定時になると前面の時計盤が回転し、からくり儀右衛門(久重翁)が現れ、無尽灯(むじんとう)・万年回転独楽(こま)・弓ひき童子(どうじ)・童子盃台(はいだい)・万年時計(万年自鳴鐘)・蒸気車雛形(ひながた)などの翁が手掛けた作品について、語ってくれる仕掛けです。
 翁は、通称儀右衛門、後近江大掾久重(おうみだいじょうひさしげ)。寛政11年(1799)市内通町十丁目の鼈甲(べっこう)細工屋の家に生まれる。幼い頃から才能を発揮、文化10年15歳にして、絵絣(えがすり)の組み方を考案、21歳のとき、五穀神社の祭礼で水カラクリなどの新しい仕掛けを披露、大阪・江戸等にても興行し大変な評判を博す。いつしか人々は「からくり儀右衛門」と呼んだ。後、大阪・京都に移り天文学や蘭学を学び、翁53歳にして和時計の最高傑作「万年時計」(万年自鳴鐘)を製作す。
 その後、佐賀藩や久留米藩に招聘(しょうへい)されアームストロング砲や小銃などの製造に携(たずさ)わる。慶応元年67歳、佐賀藩にて蒸気船凌風丸(りょうふうまる)を竣工。翌年久留米藩の今井栄(いまいさかえ)等と蒸気船購入のため上海に密航、藩の洋式海軍力の育成に尽くす。同3年、英国外交官アーネスト・サトウと会見。明治元年、大阪湾にて明治天皇の艦閲式(かんえつしき)に佐賀藩電流丸(翁父子製作の汽鑵)が旗艦(きかん)となり、久留米藩千歳丸など6隻がその栄誉を受ける。
 明治6年75歳で上京し、麻布大泉寺や芝西久保に工場を設けるが同8年に新橋南金六町(現在の中央区銀座八丁目)に移転し、電信機などの製作所と店舗を設立、情報通信・エレクトロニクスなどの分野で、我が国を代表する企業、株式会社東芝の前身となった。このような、日本の近代科学技術の発展に大きく貢献した翁の業績に対して、後に人々は「東洋のエジソン」と称えた。 平成11年11月 久留米市
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

久留米城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

天下 家康伝 上 (文春文庫)

徳川家康の生涯を描いた小説です。
大阪の陣が終わり江戸から駿府に向かう途中、泉頭の地で過去を回想する場面から始まります。一向一揆との戦い、三方ヶ原での敗北、嫡男信康の自刃、伊賀越えの窮地、小牧・長久手での辛酸、多くの出来事が家康の心情とともに描かれます。「家康の考える天下とは何か」が物語の主軸となっており、家康の生き様を感じることができました。
本作品は大河ドラマ「天地人」の原作者でもある火坂雅志氏の遺作になります。

伝もものふ山田(ヤマー)さん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る