久留米城
久留米城

[福岡県][筑後] 福岡県久留米市篠山町444


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.25(--位)
  • 見学時間:47分(--位)
  • 攻城人数:933(178位)

本丸御殿跡

本丸御殿は久留米城の中心となった建物で、内部では歴代藩主が政務を執っていました。
1874年(明治7年)の廃城令によって廃城処分となった際に本丸御殿も解体されたため、当時の遺構はありません。現在は篠山神社の神殿・拝殿が置かれています。

本丸御殿跡
 この場所に本丸御殿がおかれ、歴代藩主が政務をとったところである。久留米市

篠山神社の脇、北西側に大井戸があります。

大井戸
 飲料水の有無が城の生命線を左右するともいわれ、城内には多くの井戸があったが、この久留米城には現在2つの井戸しかみられない。
 この井戸は堅い岩盤をくり抜いてつくられている。久留米市
   

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今日のレビュー

図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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