出水城は島津氏9代・島津忠国の弟である島津用久が城主をつとめた城です。用久が薩摩守を称したことから「薩州家(薩州島津家)」と呼ばれ、代々出水城を本拠としました。島津忠辰が城主の1593年(文禄2年)、朝鮮出兵(文禄の役)において島津義弘に従うよう豊臣秀吉に命じられたものの、これに従わず薩州家は改易となります。一時は秀吉の直轄領になりましたが、「慶長の役」での島津氏への恩賞として1599年(慶長4年)に返還されると、島津忠恒は地頭として本田正親を任命しました。現在西麓にある城山墓地公園に標柱がありますが、城址の大半が立入禁止となっています。なお江戸時代には薩摩藩は領内の116か所に麓(外城)を設置し、出水麓は最初に築かれ、また最大の規模を誇っていました。現在も周囲は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、武家屋敷通りには大河ドラマ「篤姫」の撮影にも使われた竹添邸や、税所邸が残っています。
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項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 城山墓地公園駐車場 |
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現代風景の中の姫路城写真も掲載されていて、それが歴史の奥深さと融合しています。
一辺19センチの正方形一冊に姫路城への愛がぎっしりと詰まっているように思えます。もっと大きな判型で拝見したいところですが、身近にいつでもページを開くことができるというのも大切なポイントでしょうね。
デジタル写真にレタッチを施せる昨今にあって、このような調和のとれた発色・陰影表現を見習いたいものです。
大西義和さんとは2018年の秋に偶然に知り合いまして、こちらの89ページの「秋色 シロトピア記念公園」はおそらくその時に撮影された写真と思われます。それから一年に一度は撮影スポットでお目にかかることがあります。
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