串木野城は「関ヶ原の戦い」において「島津の退き口」で奮戦して討死した島津豊久の生誕地とされています。もともとは薩摩郡司・薩摩六郎忠直の三男で串木野氏を称した串木野忠道によって築かれた城で、以後は串木野氏代々の居城となりました。南北朝時代、串木野忠秋が城主のとき、島津氏に攻められると忠秋は城を捨てて知覧へ逃れ、串木野氏は滅亡しました。島津氏の所領となったあとは川上氏が城主となり、戦国時代には山田有信や、島津貴久の四男で島津義弘の弟である島津家久がこの地の地頭に任じられています。1570年(元亀元年)に家久の嫡男・豊久が誕生しています。現在城址には土塁と空堀の遺構を竹林の中に確認できます。登城口は南方神社にあります。
目次
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30 m( 20 m)
内郭:-- 外郭:--
串木野忠道
着工 鎌倉時代
串木野氏、川上氏、山田氏、島津家久
曲輪、土塁、空堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 群郭式 |
縄張形態 | 平山城(丘城) |
標高(比高) | 30 m( 20 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 串木野忠道 |
築城開始・完了年 | 着工 鎌倉時代 |
廃城年 | |
主な改修者 | |
主な城主 | 串木野氏、川上氏、山田氏、島津家久 |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2023/12/07 03:55:16
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串木野城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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駐車場 |
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歴史好きな方であっても「世界史」と言われるとカタカナ文字だらけだったり、地域を跨ぐ国がいくつも栄衰したりで手が出し難いと思います。
一方「鉄砲伝来」とか「日本銀」のお話と言うと、ここ最近のテレビ番組でも特集が組まれたりしているので、もっと詳しく広い範囲で知りたい方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この本は対馬や琉球などの「日本と海外の境界地」を中心とした戦国期の歴史から民族の流れや需要と供給の変化などを知ることが出来ますよ。
なので読み進め方は最初から読むよりも興味のあるキーワードがある章から読み始め、最後に全体を通して読むのが良いと思います。
個人的なおすすめは第6章でざっくり言うと、豊臣秀吉の朝鮮出兵の本当の目的は?その結果世界(特にアジア圏)はどう変わったか?のお話です。
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