串木野城は「関ヶ原の戦い」において「島津の退き口」で奮戦して討死した島津豊久の生誕地とされています。もともとは薩摩郡司・薩摩六郎忠直の三男で串木野氏を称した串木野忠道によって築かれた城で、以後は串木野氏代々の居城となりました。南北朝時代、串木野忠秋が城主のとき、島津氏に攻められると忠秋は城を捨てて知覧へ逃れ、串木野氏は滅亡しました。島津氏の所領となったあとは川上氏が城主となり、戦国時代には山田有信や、島津貴久の四男で島津義弘の弟である島津家久がこの地の地頭に任じられています。1570年(元亀元年)に家久の嫡男・豊久が誕生しています。現在城址には土塁と空堀の遺構を竹林の中に確認できます。登城口は南方神社にあります。
目次
串木野城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
すべてを表示(4コメント)串木野城に関するデータ 情報の追加や修正
30 m( 20 m)
内郭:-- 外郭:--
串木野忠道
着工 鎌倉時代
串木野氏、川上氏、山田氏、島津家久
曲輪、土塁、空堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 群郭式 |
縄張形態 | 平山城(丘城) |
標高(比高) | 30 m( 20 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 串木野忠道 |
築城開始・完了年 | 着工 鎌倉時代 |
廃城年 | |
主な改修者 | |
主な城主 | 串木野氏、川上氏、山田氏、島津家久 |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/03/29 14:24:02
串木野城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
串木野城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
訪問レポートなど、これまで攻城団に公開された関連記事の一覧です。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する