龍松山城は室町幕府の奉公衆をつとめた山本氏の居城です。山本忠行が紀伊国櫟原荘の地頭として入部すると、24代にわたりこの地を治めました。なお「龍松山城」の名は2代・忠継が城を改修したときに、城内にあった巨大な老松が龍が寝たような姿に似ていたことに由来しているそうです。1585年(天正13年)の羽柴秀吉による「紀州攻め」では杉若越後守の軍勢3000に対して、城主・山本康忠はわずか300の兵で3か月にわたり徹底抗戦しましたが、最終的には和睦となりました。しかし和睦のために大和郡山城の羽柴秀長を訪れた帰り、康忠ら13人は藤堂高虎の屋敷にて謀殺されました。現在城址は公園として整備されており、土塁や堀切などの遺構を確認することができます。2019年(令和元年)におこなわれた発掘調査で武器や武具、生活道具などが出土し、生活の痕跡や奉公衆出身ということもあり京との交流の様子が判明しました。
目次
龍松山城に関するデータ 情報の追加や修正
120 m( 80 m)
内郭:-- 外郭:--
山本忠行
着工 天文年間(1532年~1555年)
山本忠継
山本氏
曲輪、土塁、堀切
県史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 120 m( 80 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 山本忠行 |
築城開始・完了年 | 着工 天文年間(1532年~1555年) |
廃城年 | |
主な改修者 | 山本忠継 |
主な城主 | 山本氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/24 03:56:25
龍松山城へのアクセス情報 情報の追加や修正
二の丸駐車場
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 二の丸駐車場 |
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