松山城は武蔵国中原の要衝として、関東の諸勢力による激しい争奪戦が展開された城です。扇谷上杉家の事実上最後の当主である上杉朝定が河越城を失った後に居城としましたが、扇谷上杉氏が滅亡すると、松山城は北条氏康の手に渡ります。1561年(永禄4年)には上杉謙信により攻め落とされますが、わずか2年後の1563年(永禄6年)に北条氏康と武田信玄の連合軍によって奪還されています。その後は北条氏の配下となった上田氏の居城となりますが、小田原征伐の際に前田利家・上杉景勝らに包囲されて落城しました。現在、空堀の遺構がきれいな状態で保存されています。また、2008年(平成20年)、菅谷館(嵐山町)跡、杉山城(嵐山町)跡、小倉城(ときがわ町・嵐山町・小川町)跡とともに「比企城館跡群」の名称で国の史跡に指定されています。
武蔵松山城を訪問した530人の報告によれば、平均見学時間は1時間、平均評価は3.37点となっています。
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