頴娃城は肝付兼元の次男である肝付兼政(忠重)によって築かれた城です。兼政を祖とする伴姓頴娃氏の8代・170年にわたる居城でした。頴娃久虎が城主の頃には薩摩で初となる5階建ての天守を建てるなど全盛期を築きましたが、1587年(天正15年)に25歳の若さで亡くなっています。また頴娃城は15世紀初め、ポルトガル商人のジョルジュ・アルヴァレスによってヨーロッパで最初に紹介された日本の城としても知られています。現在城址には土塁や空堀などの遺構が良好に残っており、本丸跡に城址標柱と別名の「獅子城址」と書かれた城址碑が建てられています。なお文明年間(1469年~1486年)に初代・兼政によって建立された大通寺は頴娃氏の菩提寺で、江戸時代まで存在したようですが、現在は廃寺となっており、その跡地には歴代当主の墓が残っています。
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240 m( 200 m)
内郭:-- 外郭:--
3重5階
3階には金を施した「金の間」が造られ、蒙古人が虎狩りをしている絵が描かれていたといわれている。
頴娃兼政
着工 1420年(応永27年)
1588年(天正16年)
頴娃久虎
伴姓頴娃氏
曲輪、土塁、石積、空堀
県史跡
項目 | データ |
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曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 240 m( 200 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | 3重5階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 3階には金を施した「金の間」が造られ、蒙古人が虎狩りをしている絵が描かれていたといわれている。 |
築城主 | 頴娃兼政 |
築城開始・完了年 | 着工 1420年(応永27年) |
廃城年 | 1588年(天正16年) |
主な改修者 | 頴娃久虎 |
主な城主 | 伴姓頴娃氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、石積、空堀 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/26 14:30:15
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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