長久保城の詳細は不明ですが、今川氏によって築かれた城だと考えられています(長久保氏による築城説もあり)。1537年(天文6年)の「第一次河東一乱」で北条氏綱に奪われましたが、1545年(天文14年)の「第二次河東一乱」で今川義元が武田氏の援軍を得て北条幻庵が守備する長久保城を包囲します。北条氏康は後詰に向かうも、上杉憲政らに包囲された河越城の救援を優先し、義元と和議を結び今川氏に返還されました。なおこのときの合戦が「河越夜戦」です。義元の死後、北条氏と武田氏によって争奪され、武田氏滅亡後は徳川氏の所領となり、松平家忠が入城しました。その後、「小田原征伐」の際には徳川家康は豊臣秀吉をこの城に招いており、秀吉はこの城から攻撃目標の山中城へ視察に出ています。現在城址には城山神社に土塁と空堀が一部残っていることを確認できます。裾野バイパス沿いに城址碑が建てられています。
目次
長久保城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
すべてを表示(19コメント)長久保城に関するデータ 情報の追加や修正
90 m( 20 m)
内郭:-- 外郭:--
今川氏か
着工 戦国時代か
1600年(慶長5年)
今川氏、松平家忠
今川氏、北条氏、武田氏、松平家忠、牧野康成、中村氏
曲輪、土塁、空堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 90 m( 20 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 今川氏か |
築城開始・完了年 | 着工 戦国時代か |
廃城年 | 1600年(慶長5年) |
主な改修者 | 今川氏、松平家忠 |
主な城主 | 今川氏、北条氏、武田氏、松平家忠、牧野康成、中村氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/26 03:56:35
長久保城へのアクセス情報 情報の追加や修正
城山神社公園駐車場(無料、15台)
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 | 城山神社公園駐車場(無料、15台) |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
長久保城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する