篠向城は飯田氏によって築かれたと伝わる城です。その後も山名氏や三浦氏に支配されますが、1576年(天正4年)に三浦氏が毛利輝元によって滅ぼされると、宇喜多氏の所領となり、家臣である江原兵庫助親次が城主をつとめした。宇喜多氏が織田氏と同盟を結んだことにより、毛利方の吉川元春によって攻められ、親次は城を明け渡して撤退しました。1584年(天正12年)に毛利氏と羽柴氏との間で講和が成立すると、美作国は宇喜多氏の所領となり、再び親次が城主となります。しかし親次は朝鮮出兵に従軍して釜山で病死したため、廃城となりました。現在城址には50本以上の畝状竪堀群が残っており、中には70mをこえる長さの竪堀もあります。
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本丸付近に駐車スペースあり(登城口からは細道)
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