別名 小堤城、永原上の城
小堤城山城は永原氏によって築かれた城で、湖南地域最大規模の山城です。永原氏はもともと馬淵氏の家臣として六角氏に従っていましたが、その後永原氏の勢力が拡大するに伴い、六角氏と直接主従関係を結ぶようになりました。1570年(元亀元年)に織田信長によって攻め滅ぼされたあとは野洲郡を領した佐久間信盛も在城したともいわれています。現在城址にはハイキングコースが整備されており、安土城に先行する古い石垣のほか、土塁や堀切などの遺構を確認することができます。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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