壺笠山城は「志賀の陣」において、織田信長に敵対した朝倉・浅井連合軍が立て籠もった城です。近江坂本から京都一乗寺へ抜ける白鳥越えのルートを押さえる位置にあり、近江最古級の前方後円墳を改造して築城しています。1570年(元亀元年)、信長が石山本願寺との戦いで摂津に釘付けになっていることを好機として、浅井長政、朝倉義景が京への侵攻を企てます。これを阻止するために出陣した宇佐山城主・森可成が討死すると、連合軍はそのまま宇佐山城に攻め寄せましたが落とすことができず、京へ戻った信長と対峙するために、はちヶ峰・あほ山・つぼ笠山に布陣しています。この「つぼ笠山」が壺笠山城とされます。4か月後に両軍が和睦すると、坂本を領した明智光秀により修復された可能性も指摘されていますが詳細は不明です。現在城址には土塁や石垣などの遺構を確認することができます。
目次
壺笠山城に関するデータ 情報の追加や修正
422.2 m( 280 m)
内郭:-- 外郭:--
浅井氏、朝倉氏
着工 1570年(元亀元年)
明智光秀か
浅井氏、朝倉氏、明智氏か
曲輪、石積、虎口
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 422.2 m( 280 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 浅井氏、朝倉氏 |
築城開始・完了年 | 着工 1570年(元亀元年) |
廃城年 | |
主な改修者 | 明智光秀か |
主な城主 | 浅井氏、朝倉氏、明智氏か |
遺構 | 曲輪、石積、虎口 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/19 03:55:15
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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