壺笠山城は「志賀の陣」において、織田信長に敵対した朝倉・浅井連合軍が立て籠もった城です。近江坂本から京都一乗寺へ抜ける白鳥越えのルートを押さえる位置にあり、近江最古級の前方後円墳を改造して築城しています。1570年(元亀元年)、信長が石山本願寺との戦いで摂津に釘付けになっていることを好機として、浅井長政、朝倉義景が京への侵攻を企てます。これを阻止するために出陣した宇佐山城主・森可成が討死すると、連合軍はそのまま宇佐山城に攻め寄せましたが落とすことができず、京へ戻った信長と対峙するために、はちヶ峰・あほ山・つぼ笠山に布陣しています。この「つぼ笠山」が壺笠山城とされます。4か月後に両軍が和睦すると、坂本を領した明智光秀により修復された可能性も指摘されていますが詳細は不明です。現在城址には土塁や石垣などの遺構を確認することができます。
壺笠山城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
壺笠山城へのアクセス情報 情報の追加や修正
---
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
壺笠山城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
壺笠山城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
壺笠山城の周辺3km以内にあるスポットを表示しています。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する