佐生城は六角氏の重臣である後藤氏が、観音寺城の支城として築いた城です。繖山の尾根沿い最北端に位置しています。後藤氏は藤原秀郷の子孫といわれ、平素は山麓の後藤館に居住しており、その詰城として築かれました。後藤但馬守賢豊は進藤氏とともに「六角氏の両藤」と呼ばれ、六角義賢のもとで宿老として浅井攻めなどに活躍しましたが、1563年(永禄6年)に義賢の子である義弼(義治)に謀殺されると「観音寺騒動」の発端となり、1568年(永禄11年)には織田信長によって観音寺城とともに落城させられました。現在城址には主郭部周辺に石垣が良好に保存されており、「後藤但馬守城址」と書かれた城址碑が建てられています。登城口は北向岩屋十一面観音の参道奥にあり、ハイキングコースが整備されています。
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北向岩屋十一面観音駐車場(無料)
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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