大桑城は美濃守護・土岐頼芸の居城で、司馬遼太郎の歴史小説「国盗り物語」の舞台としても知られています。頼芸は1535年(天文4年)に起きた長良川の洪水により守護所を枝広館からこの城へ移しましたが、1542年(天文11年)に斎藤道三によって追われます。朝倉氏や織田氏の仲介もあり、一度は美濃に戻った頼芸でしたが、1547年(天文16年)に再び道三に攻められ、土岐氏の滅亡とともに廃城となりました。現在城址には土塁や石積、堀切などの遺構を確認することができ、山頂には小さな模擬天守も建てられています。また山麓の大桑地区には頼芸が道三との戦いに備えて越前など4か国の軍勢の力を借りて造成した「四国堀」が残っています。
大桑城を訪問した336人の報告によれば、平均見学時間は1時間35分、平均評価は3.32点となっています。
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大桑城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
団員ブログ記事の丁寧な紹介記事を読み、攻城団テレビでも紹介されたので、面白そうと思って購入しました。
新書らしく、わかりやすい言葉と文章でまとめられており、歴史初心者の自分でも、挫折せずに読了できました。
「身勝手」「型破り」と、どちらかといえば批判的に捉えられてきた細川政元の行動を、時代背景、育った環境や人間関係等含めて丁寧に再検証し、「なぜ、その行動、選択に至ったのか」を読み解いています。
政元の再評価を目指して書かれた為か、全体にあたたかな目線で人物像が描きだされており、全肯定というわけではないけれど、好感が持てました。
また、タイトルにある「オカルト」に含まれる修験道への傾倒が、「境界を越えることができる者への憧れ」という考察には、とても納得させられました。
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