平松城は「岩剣城の戦い(岩剣合戦)」で勝利したのち、岩剣城の城代を任された島津義弘が山麓に築いた城(居館)です。義弘は1564年(永禄7年)に飯野城へ移るまでここを本拠としました。文禄年間には義弘の娘で島津朝久未亡人となった千鶴(御屋地)とその子がこの地に居住しており、また義弘も「関ケ原の戦い」後に在城しましたが、1607年(慶長12年)に加治木館へ移ると廃城となりました。現在城址には姶良市立重富小学校の敷地となっており、正門付近に標柱があります。また周囲の石垣は、江戸時代中期に藩主・島津継豊が弟の忠紀に越前島津家を再興させた際に領主館として整備されたものです。
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 重富小学校駐車場 |
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