加治木城は日本ではじめて鉄砲が実戦に用いられた「加治木城の合戦」の舞台として知られている城です(諸説あり)。この合戦で島津の家臣である伊集院忠朗が肝付氏を攻めて降伏させています。1607年(慶長12年)には島津義弘が隠居地として山麓に加治木館を設け、加治木城は後詰めの城と位置づけられました。実質的にはこの時点で廃城になったと考えられます。現在城址には堀切などの遺構を確認できますが、立入禁止のエリアが多いため見学には注意してください。また加治木館の「中の丸」と「東の丸」が鹿児島県立加治木高等学校の敷地に、「西の丸」が加治木町立柁城小学校の敷地となっており、江戸時代末期に積み直された石垣が残っています。
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【10/5、鹿児島県姶良市】姶良公民館で講演会「戦国島津は本当に『強い』のか ~政・軍 両面から見るその実像~」開催 - お城ニュース by 攻城団
10月5日(土)、姶良公民館(鹿児島県姶良市)において講演会「戦国島津は本当に『強い』のか ~政・軍 両面から見るその実像~」が開催されます。参加無料、事前申込不要。
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歴史上有名人のサイン帳。花押2045点、印章393点が使用した人物名の五十音順に並んでいる。総勢1,112名には天皇、公家、僧、書家・画家などもみられるが武将、大名が大半かな。花押は肉筆なだけに人柄を想像してしまう。個を立てつつ恭順の気持ちも込めてデザインを考えたのかな、筆の勢いとかバランスとか(本人 or 右筆が)何度も練習したのかなと思うと楽しい。バリエーションの豊さ第1位は伊達政宗で花押21種印章9種。細川忠興の印章で「tada uoqui」とアルファベットを使っているのには目を引かれた。雪舟や長谷川等伯らの名前もあってページをめくっていたらあっという間に日が暮れてしまった。
男性ばっかりと思うなかれ、高台院、光明皇后の印章、そして春日局の花押も掲載されている。巻末には没年順の索引があって光明皇后(701~760年没)はその筆頭だ、偉い。
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