別名 南龍城

宵田城は楽々前城主・垣屋隆国によって築かれた城で、隆国の次男である垣屋隠岐守国重が城主をつとめたとされますが、定かではありません。1580年(天正8年)の羽柴秀吉による但馬侵攻では鶴ヶ峰城主・垣屋光成の弟である垣屋峰信が籠城しましたが、落城して峰信は討死しました。現在城址は「城山公園」として遊歩道が整備されており、土塁や竪堀、二重堀切などの遺構を確認することができます。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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