多聞城(多聞山城)は松永久秀の居城として知られています。多くの城に見られる多聞櫓は、久秀がこの城に築いた長屋形状の櫓がその由来とされています。久秀は何度か織田信長に反旗を翻していますが、この城でも謀反を起こし、降伏した後は明智光秀や柴田勝家が城主を務めました。信長が正倉院に伝わる名香「蘭奢待」を切り取ったのはこの城です。現在、遺構はほとんど残っていませんが、本丸跡にある若草中学校の正門付近に石碑が建てられています。
目次
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多聞城に関するデータ 情報の追加や修正
115 m( 30 m)
内郭:-- 外郭:--
3重4階
望楼型で3重4階の天守があったと推定されるが、1576年(天正4年)の廃城に伴い破壊された。
松永久秀
着工 1560年(永禄3年) 〜 竣工 1562年(永禄4年)
1576年(天正4年)
松永久秀、柴田勝家、塙直政
土塁、空堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 115 m( 30 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 望楼型 |
天守の階数 | 3重4階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 望楼型で3重4階の天守があったと推定されるが、1576年(天正4年)の廃城に伴い破壊された。 |
築城主 | 松永久秀 |
築城開始・完了年 | 着工 1560年(永禄3年) 〜 竣工 1562年(永禄4年) |
廃城年 | 1576年(天正4年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 松永久秀、柴田勝家、塙直政 |
遺構 | 土塁、空堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/18 03:26:25
多聞城へのアクセス情報 情報の追加や修正
なし
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | なし |
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