龍ヶ崎陣屋は1871年(明治4年)に米津正敏が龍ヶ崎藩の藩庁として築かれた陣屋です。江戸時代は仙台藩・伊達氏の飛び地領として采地陣屋が置かれていましたが、「戊辰戦争」後に各地に分散していた米津氏の所領をまとめる形で龍ヶ崎藩が成立しています。しかし立藩後、約5か月で廃藩置県となり、龍ヶ崎藩は廃藩となりました。現在遺構は残っておらず、龍ケ崎市立龍ケ崎小学校の正門付近が陣屋跡と推定されています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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