別名 清瀧山砦、柏原館

柏原城は佐々木信綱の四男で、京極氏の初代・京極氏信の居城です。1283年(弘安6年)に近江守に任命された氏信は居城を太平寺城へ移し、1286年(弘安9年)に当地に京極氏の菩提寺として清瀧寺徳浄院を建立しました。現在も城址には清瀧寺が残り、境内には国の史跡にも指定されている京極家墓所があります。また三重塔は江戸時代に丸亀藩主となった京極高豊が建立したもので、高豊の父で初代丸亀藩主・京極高和の院号から徳源院と改めました。なお徳源院は居館跡で、当時は清滝山に詰城(清瀧山砦)があったと考えられています。
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情報提供元:楽天トラベル
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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