関城は南北朝時代の城で、真壁城や大宝城とともに南朝方の関東六城のひとつに数えられています。結城氏2代当主・結城朝広の4男朝泰が関氏を名乗り、築城しました。1343年(興国4年)、北朝方の高師冬の軍勢に攻められると関宗祐とその子・宗政は北畠親房らとともに籠城しましたが、11月11日に落城し、宗祐父子は討死しました。この戦いの最中に親房が白河城の結城親朝に対して送ったとされる『関城書(かんじょうしょ)』は、江戸時代に『本朝通鑑』や『大日本史』に採録され、のちの尊皇思想に影響を与えたことでも知られています。現在城址は国の史跡に指定されており、土塁や堀のほか、坑道跡を確認できます。また宗祐父子の墓と伝えられる宝篋印塔があり、地域の人たちによって落城の日を命日として墓前祭が行われています。
関城を訪問した130人の報告によれば、平均見学時間は35分、平均評価は2.78点となっています。
関城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
関城へのアクセス情報 情報の追加や修正
関城跡駐車場
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
関城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
関城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
関城の周辺3km以内にあるスポットを表示しています。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する