大宝城は下妻政泰の居城で、南朝方の関東六城のひとつに数えられます。1341年(興国2年・暦応4年)には春日中将顕国が興良親王を奉じて入城し、北畠顕家が入城した関城とともに南朝方の拠点となりました。そのため足利尊氏の重臣、高師冬にたびたび攻撃され、1343年(康永2年・興国4年)には小笠原貞宗の大軍によって攻められ落城し、下妻氏も滅亡しました。現在城址には大宝小学校と大宝八幡宮があり、八幡宮の鳥居付近と北側に土塁が残っています。
大宝城を訪問した185人の報告によれば、平均見学時間は33分、平均評価は2.93点となっています。
大宝城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
大宝城へのアクセス情報 情報の追加や修正
大宝八幡宮参拝者用駐車場(無料)
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
各スポットの詳細な位置関係は 周辺地図で確認してください。
大宝城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
大宝城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
情報提供元:楽天トラベル
大宝城の周辺1km以内にあるスポットを表示しています。
より広範囲のスポットは地図検索のスポット表示で確認できます 周辺のお城を表示する
まだ本城登録している団員がいません
築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する