諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖周辺4ヶ所にある神社で、全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社です。
旧称は「諏訪神社」で、通称として「お諏訪さま」・「諏訪大明神」等とも呼ばれています。
諏訪湖を挟んで、以下の二社四宮の境内が鎮座しています。
上社 (かみしゃ) | 本宮 (ほんみや)(長野県諏訪市中洲宮山) |
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前宮 (まえみや)(長野県茅野市宮川) | |
下社 (しもしゃ) | 秋宮 (あきみや)(長野県諏訪郡下諏訪町武居) |
春宮 (はるみや)(長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原) |
上社は諏訪湖南岸、下社は北岸に位置し遠く離れているため、実質的には別の神社となっています。また、「上社・下社」とあるものの、社格に序列はありません。
社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が立っているほか、社殿の配置にも独特の形を備えています。社殿は多数が重要文化財に指定されているほか、6年に一度(7年目に一度)催される御柱祭が有名です。
戦国時代にこの地をおさめていた諏訪氏は上社の「大祝(おおほうり)」(神体と同視される、いわゆる現人神)で、祭神・建御名方神の後裔とされています。
古代から代々、上社の大祝を務め、中世に武士団化しました。当初は甲斐国の武田氏と諏訪氏は同盟関係にありましたが、1542年(天文11年)には手切れとなり、武田信玄による諏訪侵攻が行われ、諏訪地方は武田領国化されます。
その後、信玄によって1565年(永禄8年)から翌年にかけて上社・下社の祭祀の再興が図られたとされます。信玄からの崇敬は強く、戦時には「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗印を先頭に諏訪法性兜をかぶって出陣したと伝えられています。
また、江戸時代には、江戸幕府第3代将軍、徳川家光によって上社に朱印1,000石・下社に500石が安堵されており、また高島藩から上社50石(のち100石)・下社30石(のち60石)、会津藩主・保科正之から上社100石・下社50石が寄進されたという記録が残っています。
諏訪大社の観光情報
住所(上社) | 本宮:長野県諏訪市中洲宮山1 前宮:長野県茅野市宮川2030 |
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住所(下社) | 秋宮:長野県諏訪郡下諏訪町5828 春宮:長野県諏訪郡下諏訪町193 |
URL | http://suwataisha.or.jp/ |