冠木門から入ったところにある高島城の石碑の内容を紹介します。
高島城 浮城とも言う
この地は高島城本丸跡である この城はおよそ三百八十年前 文禄 慶長年間日根野織部正高吉が七年を要し彼独特の築城の技術を生かし諏訪湖の波打ちぎわにきずいた難攻不落の水城で別名を浮城とも言われている 関が原役の後は諏訪氏の居城となりそのまま転封もなく維新までつづいた
この間 城は中山道や甲州街道の道中記には必ずのせられる名勝でもあった
本丸内は藩主の御殿や書院 また一般政務の御用部屋 郡方 また賄方などがあり 能舞台 氷餅部屋など多くの建物で埋まっていた
明治維新の改革で高島藩は消え 明治八年には天守閣も破却されたが 諏訪氏の在城二百六十余年間 一度も百姓一揆をおこさせるような暴政のでたことのない名城であった
明治九年本丸跡は高島公園として公開され 護国神社も祭られ 諏訪の人人の心のよりどころとして親しまれてきた 今日も城内と言われた大手門以南の地形がおおよそ昔のままの姿をのこして近世の城郭を考えるいい資料である 今度の復興については文部省文化財専門委員大岡実博士の設計により 破却当時の姿を忠実に再現したものである
庭園は天守閣復興とともに諏訪高島城復興期成同盟会長岩本諏訪市長が自らの設計により 諏訪市が人の心の和によっていよいよ発展することを念願して 人字形の池に心を島で表わし 滝や渓流を配して躍動感を与えて造られたものである昭和四十五年五月