富士見城の築城年代は定かではありません。大井氏が滋野氏に対する備えとして築いたとする説、武田信玄が天文年間(1532年~1554年)に佐久地方へ進出した際に拠点である鍋蓋城(小諸城の前身)の支城として整備したとする説などがあります。武田氏滅亡後、徳川氏・上杉氏・北条氏に加え、真田氏が信州の支配権を争った「天正壬午の乱」の際には徳川家康の家臣である柴田康忠が一時居城としました。その後、豊臣政権下で仙石秀久が小諸城主となってからも小諸城の支城として存続しましたが、元和の一国一城令で廃城となりました。現在は「飯綱山公園 歴史の広場」として整備されており、城の名前のとおり、晴れていれば富士山を遠望することができます。また飯綱山全体が岩山であることから、信州の城としては珍しくほぼすべての曲輪で石積みが使用されています。
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835.5 m( 130 m)
内郭:-- 外郭:--
大井氏か
着工 室町時代か
1615年(元和元年)
徳川氏か
柴田康忠
曲輪、石積、堀切、土塁
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 835.5 m( 130 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 大井氏か |
築城開始・完了年 | 着工 室町時代か |
廃城年 | 1615年(元和元年) |
主な改修者 | 徳川氏か |
主な城主 | 柴田康忠 |
遺構 | 曲輪、石積、堀切、土塁 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/25 03:38:12
富士見城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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