中峠城は北条氏の家臣、河村氏の居城として知られています。河村氏はもともと相模の在地土豪で、北条氏の勢力伸張に従いこの地に移ってきました。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際、下総方面は浅野長政らが侵攻し小金城などとともに攻略され、廃城となりました。利根川南部の河岸段丘上に築かれた城で、現在は宅地化されていますが一部が自然公園「自然観察の森」として整備されており、空堀や土塁などの遺構を確認することができます。なお平将門が築城したという伝説もありますが詳細は不明です。
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7.8 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
柴原氏
着工 永正年間(1504年〜1521年)
1590年(天正18年)
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柴原氏、河村氏
曲輪、土塁、空堀
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登録日:2016/08/07 21:01:01
更新日:2024/11/11 03:45:26
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攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。
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